北海道旅行(その2)博物館・網走監獄の見学記

(2019/12/19 rev1 公開)

 二泊三日の北海道ツアーで、その二日目の11月21日午前中に博物館・網走監獄を見学してきた。 今回のツアーで印象に残ったのと、多くの写真撮影してきたので、ツアー記(その2)ということで記事にしました。

1.網走市内

 当日の朝、サロマ湖湖畔のホテルをバスで出発し、国道238号線経由で常呂の街中を経て、網走市を目指す。 ツアー客には網走にある博物館・網走監獄に行く組と、天都山山頂にあるオホーツク流氷館に行く組とが あって、博物館まで同行することになる。行き先は前日に選択していて、網走監獄の見学コースを選択していた。
 網走市内に入って、茶色い煉瓦塀の向こう側が、現在の刑務所だとバスガイドが紹介していた。 今は定員より収容者が少なく空室率が高いとのこと。バス車窓から現在の刑務所の煉瓦塀を撮影。

写真1:現在の網走刑務所の煉瓦塀 09:36N (クリック:拡大)

 天都山の流氷館に向かう途中に、博物館・網走監獄はあって、博物館組はここで下車する。 残りの流氷館組はバスでそのまま天都山山頂へ向かう。
 バスが停車した駐車場は、ちょうど博物館の裏側にあり、博物館出口前を通り、表にある入口に向かう。 博物館内に哨舎(見張のための小屋)が見える。

写真2:博物館出口から内部を覗いたところ 09:44N (クリック:拡大)

 なお、博物館は1983年に開館していて、19世紀後半から20世紀初頭にかけて建てられた建物を、 移築復原したり、再現構築したりしている。

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2.博物館・網走監獄

2.1 見学ルート

 博物館・網走監獄には、団体料金\880/人で入場し、専属ガイドの案内で、1時間程、博物館内を見学をした。
 博物館の敷地にある建物案内図を拡大して表示した。写真3。 茶色で示された建物が国指定重要文化財、緑の建物が国登録有形文化財とある。この案内板は後出の写真5を拡大したもの。
 茶色、緑色の建物は移築復原されたもので、それ以外の建物は再現構築されたもの。過去に 実際に使われた建物を移築した貴重な建物が多く、これらを重点的に見てきた。

 案内図の下側に第一駐車場があり、上方向に、鏡橋を渡り博物館入口がある。
 見学したルートは、入口から上に進み、 正門をくぐり、最初に庁舎内を見学した。その後、庁舎を左方向に出て上に進み、放射状の舎房内を見学する。 そして、反時計回りに 更に進み、監獄歴史館を見学した。歴史館を出て再び庁舎前の通路を右方向に進み、教誨堂を見学 して、出口から出た。ここまでの所要時間はおよそ1時間程度かかった。

写真3:博物館・網走監獄の案内図 (クリック:拡大)

 駐車場で下りて博物館の出口前を通り、博物館の入口まで歩く。博物館の入口ゲートを 通り、専属ガイドの先導のもと、博物館内を見学する。

写真4:博物館・網走監獄入口 09:47C (クリック:拡大)

 入口ゲートのメイン道路をまっすぐに進むと、再現構築された正門がある。脇に立つ門番は実物大の人形オブジェ。 左側に「博物館・網走監獄」、右側に「網走刑務所」の板看板が掲げられている。

写真5:博物館・網走監獄の正門 09:46N (クリック:拡大)

 この正門脇に、敷地内の建物案内板が立っている。

写真6:博物館内の案内図 09:48C (クリック:拡大)

 さらに正門をくぐると、真正面に移築復原された庁舎が立っている。

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2.2 庁舎

 復原された庁舎の玄関を入ると、右手にショップがあり、左手に囚人による北海道開拓の 歴史が展示されている。また奥には典獄室(いまで言う刑務所所長室)が展示されていた。

写真7:移築復原された旧網走監獄の庁舎 09:51C (クリック:拡大)

 庁舎内には、昔の樺戸、空知、網走、釧路にあった昔の集治館の解説や、床には囚人たち の開拓した道路、農地、屯田村の場所などが、床一面の大きな北海道地図上に表示されていた。

写真8:庁舎内の展示物 09:53C (クリック:拡大)

 展示物の中に、博物館・網走監獄の建物の案内図があった。

写真9:庁舎内にある博物館の文化財を示す案内図 09:56N (クリック:拡大)

 庁舎を出て、左方向に道路を進む。

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2.3 独立型独居房

 庁舎を出て、正門からみて右手にある、独立型独居房を見学する。独居房は小さな小屋で 3棟が展示されている。いづれも扉が解放されていて、内部を覗くことができる。独居房の小屋 は独立して建てられているため、隣の囚人と会話とかがもちろん出来ない。
 左端は煉瓦造り独居房で、移築復原されたもの。その隣の2棟 は独立型独居房で復原構築されたもの。明かり取りは、入口の小さな窓(食事の搬入口か)しかなく、扉を閉めると 真っ暗ではないものの、かなり薄暗いようだ。

写真10:独立型の独居房3棟 09:59C (クリック:拡大)

 移築復元された登録有形文化財の煉瓦造り独居房。

写真11:明治時代の煉瓦造り独居房 09:58N (クリック:拡大)

 独居房の隣は、再現構築された浴場があり、内部を見学。脱衣室、浴室を見て回る。 人型のオブジェがリアル過ぎる。

写真12:博物館の浴場 10:01N (クリック:拡大)

 浴場を出て、放射状舎房に向かう。

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2.4 放射状舎房

 写真13は、移築復原された、放射状舎房と中央見張所の入口。扇のかなめ部分に中央見張所があり、 5つの舎房が放射状に広がっている。案内表示に、五翼放射状平屋舎房とある。全226室あると。旅行の数日前に、 NHKテレビで放映・紹介されていた放射状の監獄で、東京裁判の被告が入れられた巣鴨拘置所も このタイプ。

写真13:放射状舎房と中央見張所の入口 10:07C (クリック:拡大)

 中央見張所から、ひとつの舎房を見通す。

写真14:舎房のひとつを見通す 10:06N (クリック:拡大)

 中央見張所から、5つの舎房すべてを端まで見通すことができる。

写真15:放射状に配置された第4、第5舎 10:06N (クリック:拡大)

 第4舎は、独居房が80房並ぶ。

写真16:第4舎の独居房が80房並ぶ 10:09C (クリック:拡大)

 正八角形の中央見張所。周りはガラス窓。

写真17:中央見張 10:08N (クリック:拡大)

 第1舎の舎房は、菱形の格子(斜め格子)で廊下と仕切られている。向かい側の舎房が見えない ように工夫されている。共同謀議対策。廊下を歩く看守には内部が見える。

写真18:第1舎の斜め格子。向かい側が見通せないが看守は見える 10:11N (クリック:拡大)

 舎房内の生活を展示する、リアルな実物大の人形がところどころに設置されている。

写真19:舎房内の独居房に佇む囚人模型 10:18N (クリック:拡大)

 第4舎の通路天井に、脱獄囚の、リアルな実物大模型が展示されている。
 「昭和の脱獄王」と呼ばれた白鳥由栄(しらとりよしえ)を模しているようだ。白鳥の来歴はここ↓。
   白鳥由栄 (Wikipedia)
 それと、専属ガイドが、微に入り細を穿ち、詳しく解説してくれた。もっとも、作家・吉村昭の 「破獄」という小説で読んだことがある。三度か四度の脱獄の方法・経緯を丹念に調査し、小説化している。

写真20:第4舎の通路天井には脱獄囚の、リアルな模型が。 10:27C (クリック:拡大)

 放射型舎房を出て、歴史館に向かう途中、道路沿いの舎房の外観を撮影。

写真21:放射状舎房の外観 10:32N (クリック:拡大)

 舎房見学した後、敷地内に監獄歴史館に向かい、内部を見学する。

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2.5 監獄歴史館

 歴史館で、ビデオ映像を鑑賞するが、私は単独行動で、内部の展示物を見て回る。昔の囚人たちの日常 の用品などが並べられていた。

写真22:監獄歴史館の入口 10:36C (クリック:拡大)

 歴史館の中にある、現代の刑務所、一人用の見本もあった。テレビ、布団ほか生活用品が展示されていた。 また、食事サンプルも展示されていた。

写真23:現在の刑務所内部の様子。食事サンプルが見られる 10:46N (クリック:拡大)

 現在の刑務所(独居房、一人用)の内部。

写真24:現在の独居房の内部を展示公開している 10:46N (クリック:拡大)

 歴史館の中に、現代の刑務所の部屋を展示していた。複数の囚人が同居する雑居房のようだ。

写真25:現在の刑務所の内部を展示公開している 10:47C (クリック:拡大)

 同じく、現在の独居房、個室が並ぶ。

写真26:現在の独居房が並ぶ(見本) 10:48C (クリック:拡大)

 一人用の個室には、テレビがあり、隣人とは仕切られているものの、なかなか快適そうな環境にはある。

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2.6 教誨堂

 歴史館を出て、庁舎前の通路を進む途中にある、休泊所。屋外作業で日帰りできないときには、 休泊所で囚人は宿泊していた。

写真27:休泊所の2棟 10:51C (クリック:拡大)

 先に見た独立型独居房の隣に、移築復原された教誨堂がある。 その内部には、阿弥陀如来が祀られていた。

写真28:移築復原された教誨堂の内部 10:53N (クリック:拡大)

 教誨堂を最後に、専属ガイドと別れ、博物館出口から売店に向かう。売店の向こう側に 駐車場がある。

写真29:見学を終え、博物館の出口から売店へ 10:59C (クリック:拡大)

 なお、今回見学できなかった建物もいくつかある。見学コースからやや離れたところに、 移築復原された二見ケ岡刑務支所というのがり、獄舎としては古いようだ。
 それと、監獄食堂というお食事処があって、現在の受刑者が食べているという「監獄食」 メニューがあるとのこと。パンフレットに写真付きで掲載されている。米7麦3のご飯、みそ汁、 焼き魚、副菜2皿のセット定食のようだ。

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2.7 印象ほか

 博物館・網走監獄のホームページは、ここ↓にあります。参考まで。
  博物館 網走監獄

 また、博物館・網走監獄を、ウィキペディアのここ↓で紹介している。参考まで。
  博物館網走監獄(Wikipedia)

 専属ガイドの話を全て聞いていると、見学する建物や展示物を十分に見学することができない。およそ 1時間ほどの時間で、すべてを見学することはできず、自由に見学できればいいのにと思った。
 専属ガイド氏は、60歳後半で、わたしとほぼ同年代と思われる。ガイド役をかなり数をこなしているようで、 流暢で、途切れない話し方をされる方でした。
 ガイドの話は詳細を極めていて、元看守だったり、刑務官だったかのように、折り目正しく、 律儀な、あるいは教師だったかのような話し方でした。
 1時間ほどで、博物館の出口を出たところの、土産物屋をのぞいて、バスが来るまで時間調整する。

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3.その他

 博物館・網走監獄の見学は、今回の北海道ツアーの最大のイベントだったと思う。明治始めから北海道開拓 に囚人が使役されたということは知識として知っていたが、その現実を目で見、確かめることができ、 改めてそれが大変な労苦を伴うことが実感できた。聴くと見るのとで大違いだった。

 吉村昭の「破獄」では、主人公の名前を変えていて、佐久間だったかと思う。以前、読んでいて、 看守だった人たちから聞き取りして、小説化したということで、実話らしい。それで昔の刑務所というのは どういうところなのか、非常に興味があった。博物館を見学できて、実物の獄舎や独房を見ることで 充分満足できた。

 本記事を書き終えたところで、ネットで調べたら、博物館・網走監獄のホームページ(前述)を発見しました。 記事に間違いがあるかもしれませんので、正しくはホームページを参照してください。

 以上

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